編集する(要パスワード)

美人

ドシャンと大きな音がして、レイは咄嗟に身を翻し、そして舌打ちをする。
敵の気配はしない。それならば、うさぎが何かしたのだ。そうとしか考えられない。


「うさぎっ!!!」


青筋を浮かべながらそう叫ぶと、案の定うさぎの「ひゃあああ」という声が音の方角から聞こえてくる。


「あんた、今度は何やったの!?」
「なんもなんもしてないなんもしてないわよー」
「嘘おっしゃい!!」


言いながら部屋に駆け込むと一緒に居たのか、しゃがみこんだ亜美の背中が真っ先に目に入ってきた。
転がった鍋やフライパンを拾い集める亜美とその隣にいるうさぎを見比べて、レイは戸惑う。


「あ、レイちゃん、ごめんなさい」
「亜美ちゃん?」


亜美は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「私が悪いの。うさぎちゃんの状況も考えずに声かけてしまったから」


隣でうさぎが慌てて手を振って亜美の言葉を制止する。


「違うわっ亜美ちゃんは別になんも悪く――」
「やぁっぱりうさぎじゃないの!なにが何もしてない、よ!このバカうさぎ!!」


怒号と一緒にうさぎの「ひゃぁあ」と言う奇声がまじり、亜美の「レイちゃん、そんなに怒らないであげて」声が遠くから聞こえた。


「悪いのはあんたでしょうが!もう!ちゃんとしてよね!」
「だってだぁってー!!」
「だっても何もないわよ!」
「もーーーレイちゃんの意地悪ぅ!!」


涙まじりになる声にレイは両腕を腰に当てて呆れ声を出す。


「もぅ……泣かないの」


気づけば亜美が隣に立ち、うさぎからは気付かれないようにほんの僅かレイの服をつんと引っ張る。
もう許してあげて、という声が聞こえた気がして、レイは小さくため息をついた。


亜美ちゃんはうさぎちゃんに甘すぎるのよ。


チラリと亜美を見やると、亜美は意図を察したように苦笑いを浮かべる。
額に手を当ててため息もうひとつ。それで諦めてうさぎに手を差し伸べようとしたその時、うさぎがぶちぶちと拗ねた声を出す。


「どぉせどぉせ私は駄目な子ですよーだ、分かってるもの何よレイちゃんのいじわるいじわるいじわる」
「ちょっと、あんた、ねぇ」
「最初はさー違ったのよねー会ったばかりの時は"スッゴイ美人"って」
「ちょっ……!いきなり何言い出すのよ!」


突然の内容に思わず声を荒らげる。
この流れで突然、褒められると思っておらず、不意打ちの言葉に頬が紅潮する。


「へ?」
「"へ?"じゃないわよ!今更ゴマすったって遅いんだか」
「でも、レイちゃん、私が最初に言い出したんじゃないよ?」
「え?」


他に誰が、と言いかけてうさぎのぽかんと間の抜けた視線の先がレイのすぐ隣に向いていることに気づく。
視線の先を追うようにして隣を向けば、さっきまでうさぎを庇おうとレイを宥めていた視線は既に逸らされている。


「……」
「…………」


無言の応酬は数秒続き、やがてうさぎの天真爛漫な声が響いた。


「亜美ちゃんがこの時間のバスで、スッゴイ美人が見られるって言うからあのバス乗ったのよ」


その後にうさぎは「それがこんなにいじわるだと思わなかった」云々と言葉を続けていたが、レイはもうそれは聞いていなかった。


「そう、亜美ちゃんが……」


レイはぼんやりとそう呟き、顔をそむけたままの亜美はそれには反応しない。
ただうさぎが「そうだよー亜美ちゃんだよー」と間の抜けた声で同意した。


「――うさぎ」


レイのその声音は厳しさがまじり、うさぎは慌てて姿勢を正す。


「は、はい!なんでしょう、レイちゃん!」
「……片付けはしておくからいいわ」
「え、でもさすがに……」
「いいって言ってるでしょう。美奈子ちゃん手伝ってきて」


有無を言わせぬ声音にうさぎはぎこちなく頷いた。部屋を出ていこうとドアの前に足を進め、そして立ち止まる。


「レイちゃん……ごめんね。落としちゃって」
「ばかね、もう気にしてないわよ」


レイがふっと漏らした笑みに、うさぎはぱぁっと明るく笑って「レイちゃん、ありがとう!」と元気に部屋を飛び出していった。
ぱたぱたぱたと駆け足の足音は軽やかにあっという間に遠ざかっていく。


「もうホントにうさぎはゲンキンなんだから」


亜美のクスクスという小さな鈴の音のような笑い声が聞こえた。
そしてレイは亜美の正面へと向き直る。


「さて――亜美ちゃん」


もう何を言われるのか察しているのだろう。正面へと向き直った瞬間に亜美はビクリと反応して身体を小さくする。


「"スッゴイ美人"?」
「…………」


亜美は何も言わない。髪の毛の隙間から覗く耳が赤く染まっているのだけが見えた。


「ねぇ、亜美ちゃん」


レイはいたずらな笑顔と一緒に呼びかける。
その呼びかけに応えるように亜美は少しだけ振り返ってレイへと視線を投げた。
震える瞳に笑顔を返してレイは問いかける。


「その"スッゴイ美人"を自分のものにした感想はどう?」


ごく小さな悲鳴が聞こえて亜美はぱっとレイから視線を逸らして、両手で頬を抑えた。
その反応が可愛くて、ついもっとからかいたくなってしまう。
くるりと亜美の正面へと移動して俯いている顔を下から覗き見る。
きゅうと瞑られた目と両手では抑えられず隠しきれない熱が頬を染めていた。


「亜美ちゃん?」


ぴくりと肩が反応する。みるみる小さくなる身体が震えているようで抱きしめてしまいたい衝動にかられた。


「あーみーちゃん?」


くすくすと笑いながら問いかければ、亜美はぱっと瞳を開けて、そして待ち構えていたレイの視線とぶつかり、また小さな悲鳴と一緒に目を瞑る。


「もう、亜美ちゃんったら」
「だ、だってっ……!」


ようやく聞けた声は震える声。頬を抑える手にそっと触れれば熱が伝わってくる。


「そんなに……恥ずかしがることないのに」


亜美は無言でぷるぷると首を振った。蒼い髪の毛がそのたびふわりと揺れてレイの腕をかすめる。


「私は嬉しいわよ」


それには亜美は答えない。答えられない。
ゆっくりと開いた瞳は縋るようにレイを見て、涙を浮かばせる。


「泣くことないのに……」
「でも……」


涙をそっと指先で弾いてあげてレイは柔らかな髪の毛に唇を落とす。


「嬉しいって言ってるでしょう?」


亜美はコクリと頷く。震える身体をレイに預けるように傾けて亜美は頷いた。
その背中を優しく撫でてレイは「仕方ないわね」と溜息をつく。


「甘えてもいいのよ。けど――」


亜美の身体がぴくりと反応した。その反応が可愛くて仕方ない。
レイはくすりと笑いながら、もう一度問いかける。


「けど、ちゃんと教えてね。その"スッゴイ美人"を自分のものにした感想はどう?」